ADHD覚書1
今読んでるADHD本(Lass mich, doch verlass mich nicht 「私訳=ありのままの私を受け入れて」 - Cordula Neuhaus)の覚書。
この人のDiplomという学位がよくわからないんだけど、たぶん心理学、行動セラピー、心療教育のマスター相当。
本の出版が2005年1月で、データがだいたい2003年のもので、日進月歩のADHD研究の中ではちょっと古いんだが、それでもいくつか興味深い項目があったのでメモ。こうでもしないともう記憶がぐちゃぐちゃになってわけわからなくなるw
・最大の特徴としてモーターに突き動かされるような不快感。(うーん意味不明。適切な訳語があるのはわかってるが調べるのめんどくせw)
・ADHD層−非ADHD層では脳の構造が異なる - 脳の構造と機能の異常ないしは奇形。
・ドーパミンとノルアドレナリンの分泌異常と神経心理学的異常がADHDの特徴を形作っている
・前頭葉のStoffwechselversorgung(代謝供給?)と代謝機能の異常
・eingeschränkte Steuerfähigkeit = (自己管理能力か?)の欠如。
・短期記憶がうまく働いておらず、メモを取らない限り、会話等の途中で初期の記憶が失われてしまう。(ADHDとアルツハイマーとの類似性の指摘を以前何かで読んだ記憶がある)
・非ADHDとは異なる時間間隔を有する。
・全人口の5-9%がADHDと診断済み。(最新の調査では最大で13%を超えるものも存在する。スゲェな。10人に1人以上はADHDかよw さらに、治療やケアの必要のない、ごくごく軽いADHDも含めれば最大で25%はいるとする研究もある。このことからもADHDが他人に理解されにくい理由がよくわかる。悪乗りして私見を言えば、定義しだいじゃ人類の9割がADHDってのも可能かもしれない。)
・カフェイン、葉っぱなどへの依存。(最近毎日最低1Lはコーヒー飲んでるな。飲まなきゃ禁断症状なんてことはないんだけど、あの熱いコーヒーをすする安らぎを求めて飲んでしまう。葉っぱはオランダへの交通が微妙に不便なためいまだ未経験。いいのやら悪いのやら)
・前の日記に書いたカフェインなどへの依存に加え、チョコレートなどへの依存が起こりうる(最近いっつもチョコレート食べてるなぁ。何よりも問題なのは、手元にあると短時間で全部平らげてしまう件。日本にいたころは糖尿病への恐怖から食べなかったけど)
・運動皮質における血流量の増加が見受けられる。
・神経心理学的に帯状皮質(?)の活動の欠乏が示唆される。帯状皮質は注意力、感情、モチベーションを司る複合システムを統合している。帯状皮質はまた、(行動の)プライオリティの設定や、注意を傾ける対象、物事へ取り掛かることと関係している。
・これらの部分はへんとう体から感覚器官への情報の早期の感情的評価という刺激を受け取る。(訳に自信なし)
・ADHDにおけるへんとう体は、不安障害、パニック障害、PTSDとしての過敏を引き起こしていると見なされている。
ここまでの知識の蓄積によって、とりあえずADHDインチキ説はありえないと確信。
私見だが、ADHDの増加は規律の増加と関係しているだろう。ゼロ・トレランスポリシーの真っ先の犠牲者になるのは目に見えてる。また、大学教育まで進むことが普通になった社会情勢も明らかに影響しているだろう。なにせ学校を途中で止める最大の層なんだから。 通わなきゃいけない年数やステップが増えれば中途で辞めるリスクも当然増大。
もっとも学校を辞めるってことはADHDに関連しては言われない、既成社会システムへの消極的反乱って言う、不登校による個人の社会的待遇の悪化とは別の次元で重要なテーマがあるわけで、正直、(現行の)学校に行くことを「まともな状態」との前提の上で書くのは躊躇いがあるけど。
これらのことと、ADHDに関する研究の進捗が近年のADHD認知を増加させていると推測。
逆にADHD層の受け皿となっていたのはITや証券トレード、芸術といったあたりだったんだろうが、それらの時代がまとめて終わりつつある今、ADHDの明日はどこに?
この辺の信頼に足るデータはそういえばまだ目にしてないなぁ。あるんだろうけど、情報追っかけてる気力が時たまにしか沸かない。いやになってくる。
しかしこの本、図書館から借りてきたんだけど、文中の単語ごとにイントネーションを誰かがふってあるんだが、誰かドイツ語の勉強に使ったんだろうか?wしかも、同時に借りたぜんぜん関係ない政治の本にも同じようにふりが。うん、謎だ。
ここまで来てもはや僕の前任の精神分析医はうそつきのクレタ人であることを確信。
ろくすっぽADHDの診断もせず、「子供のころはそうだったかもしれないけど、今の君はADHDじゃないよ」なんて言ってて、ろくすっぽADHDについて知らなかった当時から半分疑っていたんだが。
僕の中でフロイト・ラカン派の精神分析治療に対するイメージは彼によって大幅ダウン。もともとフロイトは嫌いだったが。ただ、ADHDという枠で考えない限り、関する彼は優秀だったと思う。ADHDは専門外だったということだったんだろう。こんちくしょぅ。無駄足とは言わないしそれなりに成果もあったけど、なんだかなぁ。