ADHD覚書2

・とりわけ興味深いのはADHD人たちにおいて…(中略)…言語、非言語双方の短期記憶が、緊急の重要なデータやアイデアを一定期間”オンライン”させておけないだけでなく、過去記憶コーディネーター(海馬)内への記憶の符号化や、大脳皮質の長期記憶を司る部分の役割を分担しなければならないことである。

ADHDではない人たちは短期記憶内の適切な記憶を取り出したり、まとめたり、構築することができる。これは与えられたテキストを分析し、規則から導き出される結果を元に再び頭の中で組み立てる能力に属する。ADHDの人たちは、高い知能を有する人ですら、紙と鉛筆といった、「外部」の助けがない限り、複雑なタスクにおいて困難を示す。これはタスクの途中で、彼らが初めに計算したことや記憶したことを忘れてしまうために起こる。

ADHDにおける典型的な脳の働きの欠陥は、ADHDでない場合と違い、活動の一連の経過を自動的かつ計画的にコーディネートできないことに見られる。ある問題を熟考あるいは天秤にかけて解決しなければならない際に、たとえば突然思いついた心配事や、まったく関係のないアイデアを思いつくなど、重要でない刺激(あるいは自分の内に由来するもの)を取り除けなかったり、自身の適切ではない振る舞いを排除することのできないといったことからは、大脳の機能障害が推測される。

以上のことからADHDの人たちの脳は、そうでない人たちと異なった発達をしていると考えられる。



気がついたら本の内容をほとんど書き写してるな。もはや覚書じゃなくて翻訳になってるw 訳がヤバいのがあれだし、どこまで訳するのが版権にひっかからないんだっけ・・・。
とにもかくにも覚書を作るなら、アメリカ産の最新の本読んだほうがいいことに気がついた。さてどうするかな。今手元にもう一冊、スイスのADHD界隈じゃ有名な臨床医が書いたADHS bei Erwachsenen(大人のADHD)っていう2007年出版の本があって、こちらは作者が実際に診療に当たった患者の実態が書き連ねられている。以前、こちらでまだ誰もADHDの知り合いや、自助グループなどを知らなかったときに、この作者宛てにメールを途中まで書いたんだけど、ここから1000km近く離れているスイスにメールを送ったはいいが、返事もアドバイスも返ってこないだろうなと思い、結局延々と下書きに保存されている。この人の情報をネットで見たときに感じたんだけど、どうにもこの人は商売っ気がするんで、結局この本もまだ読み始めてない。ならなんでそんな本があるんだって思われるかもしれませんが、図書館でなるべく出版年の新しい本を適当に借りたら彼女の著作だったんです。

ついでにそれで思い出したのは、英語版とドイツ語版WikiADHDの項目が、詳細で客観的な書き方になっているのに比べ、日本語版Wikiに例えば、”ADHDだからという理由でレッテルを貼ったり、甘く評価するなどというのは不適切であるといえよう。”と、微妙に感情的な表現が紛れ込んでいる件。そういう問題じゃないだろと思うのは僕だけなのかな。他にも部分的に作文風の雰囲気が漂う。英語版は英語版で編集合戦になってるんで、問題はあるんだろうけど。