敬語といえばジョージ・オーウェルを思い出す。

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これはかなりいまさら感が強いんだが…傾向として、日本人が感じるこの障壁は英語圏の連中のそれに比べてかなり高い、というのはまぁその通りなんだろう。ただシャイ、というだけではない。日本人は「他者に迷惑をかけてはいけない」という意識が過剰なひとが多く、「よくわかってないのに参加したら迷惑なんじゃないだろうか?」「こんなに下手なのに参加したら迷惑なんじゃないだろうか?」という考えから参加を躊躇うケースも多いようだ。

そこへいくと、英語圏の連中はダイナミックな奴が多い。「ルールなんか知らねぇけど、『オンライン』ってメニューがあったから参加してみたぜ」ってのがゴロゴロいる。で、ホントにルールなんか知らねぇの。え?お前何やってんの?なんでおれに手榴弾投げてるわけ?みたいなのが普通にあったりしてな(笑)。ああいうのは正直うらやましいよ。

というのは実際そうなんだよなぁ。冗長だが詳細なプレイアブルチュートリアルがビルトインされているCities XLなのに、チャットでは四六時中、「どうやってトレードすんの?」「どうやって高速道路敷設すんの?」などなどゲームの基本的な操作に関する質問が絶えず繰り返される。それに対する反応も「頼むからチュートリアルちゃんとやってくれよ」というものも時々あるものの、大抵の場合、誰か積極的な人が教える。「おっすオラ今日からCities XLユーザー、いっちょやってみたいんだけどなんかアドバイスある?」なんて発言もしょっちゅうだ。それに対する他の反応を受けて、対話によって物事を進めていくというスタイルなんですな、おそらく。そこには日本のコミュニケーションにおける特徴である初めての会話での地を這うほどの卑屈な下手さというものはない。米陸軍公式のアメリカ陸軍宣伝ゲームAmerica´s Army 3ではとりあえず僕に手榴弾を投げてきたヤツはチームキラー以外いないがw

現実の苦痛を通り越して凄惨を極める日本の上下関係と、それに付属する曖昧な語法の変化に翻弄される日本の人たちも、それからある程度解放されるネット世界ではコミュニケーションの花がそれなりに開く。けど、この形での排他の原理は日本ではネトでも強いわね。欧米にももちろん排他の原理はあるんだろうが、そんなところにはないようだ。ドイツにも法治国家として当たり前に、例えば法とかういている権利における排他原理はもちろんがんがん働いてるし、これは往々にして一方の人あるいは関係する人たちを奈落の底に落とすことはあるけど、上記のようなヒエラルキーに出くわすことは少ないか、あまり日常生活で実感しない。法的ヒエラルキーは強烈だがね。ドイツ来て思うのは、あるドイツ在住のスペイン人に言わせれば「ドイツ人はスペインと比べたら窮屈そうに生活しているように見えるね」だそうだし、スペイン人よりは一般的に寡黙なのかもしれないが、それでもホントどうでもいいような些細な話でも詳細かつ活発に会話をするんだねぇと。昔のギリシャの哲学者の誰だっけか、プラトンかな?会話を知の研鑽にとって最重要なものと見なしたのは。それを思い出す。

まぁ、これは逆に「許容度」の問題であるとも言える。日本ではこの手のひとや態度に対する許容度が総じて低く、あちらではまちまち、つまり即キックするようなひともいれば寛容なひともいる、という感じか。

このことは実感として僕もまったく同意だ。しかしこのような多様性の担保として議論というものがあって、言葉を操る必要があるんだよね。すぐ常識とか伝統なんかに訴えずに、それらをうまく合理性の中に埋め込まないとやってられないのが欧米の共通項かもしれない。こてれはADHDを愛するクロコ汁にはきつすぎるが、一般に広まってる平等の精神によってだいぶ中和されてる(欧米でも他の国は知らん)。

日本とドイツ、フランス、ベルギーでブレークダンスを練習してる連中に飛び込んでみたが、僕には一番日本が排他的でキツかった*1。フランスとベルギーはもう一緒にダンス練習するヤツ、というか(少なくとも同じ場にいる)ダンサーはどんなやつだろうがみんな仲間みたいな意識に近い。いきなりフランス語が話せないアジア人が飛び込んでもがんがん受け入れるし、練習してれば「おいおい、それはそれじゃうまくいかない。こうやるとうまくいくんだ」と言葉が通じない中、身振り手振りでアドバイスしてくる。ドイツはそこまでではないが同じ系統だ。ダンス教室で教えてるブレークダンサーのところに生徒でもない僕がいきなり飛び込んでもなぜか歓迎される始末。そうじゃない人もいるが。日本は、同じダンサーでも見知らぬ人に対する仲間意識はないようで、相当警戒するというか距離を置く。終始僕はエイリアン?のような異様な壁のなかお互い打ち解けるでもなく練習してる。・・・苦痛だ。以前日本のダンススクールでクラスメートに話しかけられて、しばらくして年齢を聞かれて僕が年上なことがわかると驚くほど卑屈にため口を聞いててごめんなさいごめんなさいを繰り返した。こっちがそんなんまったく気にしていない*2といってもお構いなくごめんなさいを延々と繰り返す。まったくどこに地雷があるのかわかったもんじゃない。人間関係において、人をムダに苦しめるんだな、日本と言う国は。ここまで来るともう病的だ。世界でももっともアナーキーな社会に遠い場所、アーキーな社会のひとつじゃないだろうか。と、ジョージ・オーウェルが言ったかどうかは定かではない。

*1:ちなみに大陸ヨーロッパのブレークダンサーは移民2世、あるいは幼少の頃に移民してきた人たちが多くて、比較的コミュニケーションのパターンにばらつきがある。例えばマジだよと念を押すときに「俺、コーラン持ってるよ(それに誓うよ)」を連発する人とか。ヨーロッパが大幅な移民制限と言う名の選民政策に手を出してしまった昨今、近未来のブレークダンサーの国籍的系譜はどう分布していくんだろうね

*2:ADHDは特に気にしないらしい。とあるADHDチェックシートに「年下の人にも敬語をつかったりする」なんてんがあって、なんてこったいこれもADHDの仕業か・・・と思ったことがある