スゲぇのはスゲぇんだけど・・・

と、ここまで書いたところで、偶然タイミングよくid:Apemanさんのところでこんな文章を発見。

2009-04-23

万国博における植民地の展示が、文化的、イデオロギー的な傾向を強く帯びはじめるのは、おそらく一八五五年のパリ万博以降のことである。(・・・・・・)
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思えば、パリ中心部の有名なコンコルド広場に行く旅に思うことがある。
この広場は、北西にシャンゼリゼ(その先には凱旋門、高層ビル区画であるラ・デフォンスと一直線に続く)、南東はルーブル美術館へと続く公園道、北東および南西の両側には、広場から続く道の終わりにパルテノン神殿を思い起こさせる建造物が建っている。パリ中心街の美観の典型というところ。広場の中心にはかつておフランスがエジプトからかっぱらってきたオベリスクがイヤミに聳え立ってる。この前で、エジプトなクリシェ丸出しでポーズとりながらヨーロッパ人観光客たちが写真を撮ったりする。ここに来るといつも僕はヨーロッパの矛盾について何か意味の深い示唆を示されているような気がしてならない。世界最多の観光客を抱える花の都の観光名所といえば、つまりはそういうところばっかりだ。フランス現代思想なんかのフランス、民衆の暴れるフランスとのギャップはあまりにも大きい。街にいるとなぜだか僕の頭の中を「転用」という言葉がぐるぐる回った。

結局国(ネイション)としてのフランスに対する僕の思うところにこの不整合がついて回るってこった。だけど、この不整合はフランスに存在する、思想や階級、地位の異なる人たちの間の明確な対立があってこそだろうとも思う。それだけにあの壮絶な中心部の光景はなんなんだろうかと思っちゃうんだよね。ちょっと中心街から外れたあたりのボロいが建物は比較的統一されてて中心街の余韻をそれなりに残す下町パリ、その周りでどんどん取り壊されて一流企業のビルやスタジアム、新市街に急速に生まれ変わってるパリ、エッフェル塔が一望できるシャイロ宮殿(だっけ?)から見えるエッフェル塔以外の現代の塔がどんどん増えている光景。これらのコントラストが産業革命のときよりのパリの矛盾、ひいてはそれに巻き込まれた世界規模の矛盾につながってるとは思う・・・あるいはその風景は産業資本主義から別の資本主義、金融かな、への変遷を代表しているというべきか。

パリと言うのは、そういう場所が民衆に一応開放された歴史を見る場所と言えるかもしれない。それらの美は本来的には民衆のものではない。今日では部分的に民衆が奪い取った。が、パリでもっとも美しい中心部からは民衆の香りは極わずかしか漂ってこない。たとえば毎月第一日曜日は広大なルーブル美術館の入場料が無料になる。だが、それは資本主義や貴族社会、今も残る上流社会の番人たちが反抗する民衆に対して行ったささやかな譲歩の表れと僕には見える。


あと、パリに行くたびに路面電車の路線が増えてる。中心部からネットワークを作るんじゃなくて、ちょっと中心から外れたところの地下鉄が通ってない地区をカバーするように細切れに路線が増えていってるのがユニークなところ*1。だから、各路面電車の路線ごとはネットワークになっていない(地下鉄を乗り継げば乗り継げるが)。ちなみにパリの地下鉄は恐ろしくバリアアンフリー。古いからってのはあるんだけど、アレじゃ若い人しか使えないだろうってぐらい歩かされるし階段だらけ。自動ドアはめっちゃぶっきらぼうにかなりのスピードで開く。そのため音ががっこんがっこんすごい。自動改札は遊園地とかにあるなんていうんだろうか、回転する棒を押して入るやつで重い。出口は改札はないけど、ドアがあって、これが空けにくい。開けた後は圧力で勝手に閉まるんだけど、これが閉まるときボバーンってすんごい音がする。去年行った時ゾーン2および3に設定されてた地域までゾーン1(一番安いチケットで行ける区域)に編入されたような気がするんだけど気のせいかな。確か去年はゾーン3のチケット買った地域がゾーン1になってた気がする。

フランスの路面電車のデザインは素晴らしい。わくわくする。反対にドイツはなぜか変なデザインのものしかない。おフランス型デザインの路面電車を進んで採用するのはイタリア、スペイン、ポルトガルといったラテン系西欧諸国がメイン。いったいどういうことなんだ。$

*1:こういうの見ると、フランスとかヨーロッパは自分たちの今おかれている条件から出発して、自分たちなりの回答を見つける傾向のある社会なんだなって思う