ル・モンド・ディプロマティーク日本語電子版より

フランスでふと最近ル・モンド・ディプロマティークの日本語訳の記事を最近読んでないことに気がついて読んでみると、いい記事があった。このフランス左派系の雑誌、玉石混合で、中には統計を用いて、アメリカンなプレゼンよろしく強引な論理展開をやる記事もあるけど、基本的に記事の質は高いと僕は評価している。日本語電子版ではほんの一部しか読めないけど、僕はフランス語が読めないのだからしょうがない。と思ってドイツ語版を見てみると、日本語版より掲載がほぼ1ヶ月早い上に、2ヶ月以上前の記事はほとんど無料で読めるようになってる。

ギリシャ700ユーロ世代の氾濫というタイトルのこの記事http://www.diplo.jp/articles09/0901.htmlの中で、この部分がとりわけ僕の興味を引いた。

政府は「覆面族(ブラックブロックのこと)」の姿を強調し、「民主主義への侵害だ」と言い立てた。「いったい、どの民主主義のことを言っているのか」と、政府に抗議する人たちは反論する。中学生や高校生が警察署へ向けて投石したり、銀行支店の破壊に加わったりしたことは、紛れもない事実である。しかし、その数日前、数十万人の国民の貧困化に関心を払わない政府が行ったのは、銀行に対する280億ユーロもの資金提供だった。にもかかわらず銀行は、民間の債権回収会社を通じて、侮辱や脅迫、差し押さえといった手段により、少額融資の取り立てを進めている。

 時として暴力的に表現された若者の怒りは、特段の政治的な期待を表しているわけではない。極左を除いた諸政党が運動の要求に耳をふさいでいる以上、それも仕方ないことではないだろうか。先のファナラス所長は「対話が開かれることもなければ、メッセージが受け取られることさえない。当然ながら、何かしらの結論が導き出されることもない。まるで若者が『破壊行為』に飽きれば反乱が終わると期待しているかのようだ」と話す。彼の予想では、デモ参加者の多くは自宅に戻るだろうが、それも次に何らかの口実による挑発を受けるまでのことにすぎない。一部の者たちは、暴力的な集団に引き込まれていくだろう。「以前、カルテザスが殺された後に起きた現象だ」とアレクサンドロス・イオティスは言う。元ジャーナリストで、アナーキスト的な共産主義グループの一員として、フランス、スペイン、ギリシャで活動していた経歴を持つ。「特に拡大したのが、テロリスト組織『11月17日』だった(6)」。活動からは引退したイオティスだが、デモ行進で若者が振りかざしていた旗の大部分が、赤と黒の組み合わせだったことを指摘する。

 テレビをはじめとするメディアが流した政府のプロパガンダには、特に目に付く点が2つある。1つは事件の中で移民が果たした役割の強調だ。放火された商店からの略奪は、飢えた移民の仕業だと言うのだ。アジアでは「デモ行進し、破壊行動を行い、盗みを働くのは普通の出来事だ」というコメントが、テレビで流れさえした。だが、暴力を働いたのは他の誰にもまして、腐敗した政治体制に憤慨したギリシャ人たちだった。ロマ人が略奪に加わった主な動機は、警察による弾圧の忘れられた犠牲者である仲間の仇を討つことにあった。


これを読んで、日本と似ているじゃないかと思った。いや、日本では政府が仮に銀行に50兆円救済資金を出しても暴動ひとつ起きないだろうけど。どこのアジアで「『デモ行進し、破壊行動を行い、盗みを働くのは普通の出来事だ』というコメントが、テレビで流れさえした」のか知らないが日本じゃないことだけは確かだ。

思えば語学学校のクラスで、テーマ・貧困でちょっとした話になったとき、とりわけ富の不平等についての僕の怒りに賛同したのがギリシャ人の女性だった。まぁ、そんなことはどうでもいいんだけど、この記事は、このようなアナキスト*1たちによる暴動を「不正」と呼ぶならば、その「不正」は政府の行った「不公正」ないし「不正」に起因するものであること、そして政府はそれがのど元を通り過ぎて収まることを期待しているだけで、対話による解決が困難な以上、怒りがストレートに暴動になってしまうのは当然の成り行き、いうことを論理的に説明している。「一体、どの民主主義のことを根底にはギリシャの若者たちが享受できるフォーディズム型の比較的安定した経済モデルはとっくに崩壊していて*2、それこそみんなまとめてプレカリアートとなっている現実がある。その古き良き経済体制が本当に良かったのかどうかは別として、彼らは既に先進国的豊かさからは締め出されつつある。身も蓋もない言い方をすれば残ったパイの取り合いの一現場でもあるわけだけど。EU内の南北問題ではギリシャは文字通り南であり、オリーブとフェタチーズと出稼ぎ労働者を輸出する代わりに自国の経済力に対して強すぎるユーロを輸入してるわけだ*3。そこに単なる不満の表れもあれば、新しい社会を望む意思の表れもあって、実際にはそれらは交錯しているのだろう。とりわけ後者を、なかんずくどのような社会を望んでいるのかを軽視し、不況や貧困化に連動した暴動のルーティーン的増大と見てしまえば、僕たちは暴動の意味を酷く退屈で非創造的な形でしか解釈できない。


しかし覆面族ってw

*1:本文中ではアナルコ共産主義者ないしはリバータリアン共産主義者たちがメインだったとされてるが

*2:おまけに当時は独裁政権下、だが、日本も表向きはどうであれ現実には自民党系実力者たちによる独裁

*3:ギリシャは良く知らないが、似たように経済がEU内では相対的に弱めのイタリアでは、イタリア人は北に出稼ぎに行き、アフリカや、アジア、中東、南米からイタリアに出稼ぎに行くという垂直の経済構造が見える。まさに北を目指して三千里な世界。