雑談

最近ADHDと規律について思うところがあるんだけど、まだエントリに記すほどの気力がない。
そうこうしている間に、興味深いエントリを発見した。

2009-06-23

在特会の京都デモへの抗議行動はYouTubeでもニコニコ動画でも見ることができます。とりわけ2ちゃんねるニコニコ動画のコメントを見てると、あいつら左翼は動員されてるんだとか、給料出てるんだとか、日本は実は左傾化しているんだとか、そういう奇妙なコメントを目にします。その中でもっとも屈折してるなあと思うのが、日教組への批判ですね。ものすごい極左団体だと言われている。僕は、いわゆるネトウヨというのは、たぶんすごく頭が良くて、それでいて学校のシステムからドロップアウトしている高校生ぐらいの若者たちなんじゃないかと想像しています。だから教師や団塊世代へのルサンチマンが強い。

首:矢場さんはインターネット見過ぎですよ。2ちゃんねらー

矢場:ねらーとニコ厨とは厳密には違うんですが、その解説は論旨から外れるので、誰かがコメント欄とかに書いてくれるのを期待しましょう。ええと、ちょっと「国民が知らない反日の実態」というサイトをみてみましょう。この中のコンテンツに「反日勢力リスト」というのがありますね。ちょっと見て貰えますか。

首:これは在特会のサイトとは別物ですね。あれ? 反日勢力「綺麗事保守」というカテゴリーがあるんですね。その他にも自民党議員のリストアップ、政府機関、警察庁も入ってますね。マスコミでは読売や文藝春秋も入ってるのはなぜだろう。電通に日経連まで載っている。これはすごいなあ。愛国者の人たちは敵が多くて大変ですね。反日民間団体に反戦生活が入っていないのは、私たちの力不足ということでしょうか。

矢場:なにか連想しませんか。

首:ううーん。昔の左翼の思考パターンを連想してしまいますね。自分たち以外はみんな間違っているという。「綺麗事保守」というのは、保守でありながらショーヴィニズムを否定する人たち、ということだと思うんですが、これは一歩間違えれば主要打撃論とか連合赤軍的な思考パターンに転びかねないなあ。正しさを追求することに腐心するようになると身内の中に敵がいるんじゃないかという疑心暗鬼に駆られてくる。

そうなんだよな。流れとしてたぶん10代でこうした右派の影響を受けて単純にネオナチ化して、そうすると自分が結果的に排除されてしまうといううすうす感じている予感と対峙して*1、その後、数年の時を経て左派に編入していくというものがあると僕は仮定してるんだけれども、上のような実態が普遍的ならばそうなるのも当然だよね。ってまぁ結局引用とあんまり関係のない話になってしまった。


ちゃぶ台と千人針が共存している生活が表象されていると思うのです。つまり、現代人は昔の人が持っていた何かをなくしてしまっていると、そういうふうに呼びかけるわけです。それはみんなの持っている喪失感や心の傷、欠落感に訴えかけます。欠落しているものは埋め合わせられなければならない。それがちゃぶ台のある生活です。家族が輪になって食事をし、真面目に正直に生きていれば必ず幸福になれた時代。そこに憧憬を感じた人々が「昭和」というキーワードに惹かれるのではないでしょうか。しかしそのちゃぶ台のある生活の隣には、千人針と血染めの日の丸がある。ここには歴史に対する批判的な視点はありません。というのも、「昭和」は失われてしまった理想郷そのものなわけですから。だから戦争は、あらがうことのできない状況、地震や災害にも似た災厄そのものとして描かれます。しかし理想郷の住人たちは助け合いながら災厄を乗り切り、その果てに平和な今の日本を作り上げる。こうして彼らは自らを発見します。本当に今のこの時代は理想郷に住む人々が求めたものだったのだろうか。自分たちの時代は本当に正しいのだろうか。このように考え、ふと新聞やテレビを見たとき、彼らは強烈な不安を覚える。というのも今の生活のなにもかもが理想郷とは違ってしまっているからです。こうして無意識にちゃぶ台のある生活を再び獲得しようとして、彼らは血染めの日の丸に手を伸ばす。

そして遊就館および昭和館についての解釈。実際「失われた良き物」を取り戻す伝説のアークのような話はまぁ○本会議だの○育再生委員会だの、青春知事だのほか多数が堂々と言及しているわけなんだけれども、この手のクソ話がのさばってるのは、政府がこれを積極的に否定しないどころか、このような嘘八百ナショナリズムを積極的に利用してるというのが決定的なんだろうね。実際に失われた良き物を取り戻した日には排外主義の若者たちは硫黄島で墓穴を掘らされる羽目に*2なるやもしれませんが、それでもいんですか、というのはさておきこういう思想を利用したい、天皇を利用したい、財界と仲良くしたい、そのために人を利用するうまくごまかして騙すのは当然というのが人生の到達点である連中が大勢いて、そういう連中が政治や経済の中枢にのさばっているという日本の片鱗であるとしか言えない。

*1:なにせそもそも排外主義的になっている理由として自分が排外主義的社会に排除されている、あるいはされかかっているということがあるわけで。自分がその排外主義コミュニティの中でうまく排除されない場所を見つけようとすると、互いを排除しあう、あるいは排除される村八分組みと、排除するまさにその目的のために作り上げられた理論によって繋がる仲間内という、そもそも日本という社会そのものが持っている緊張感を有したグループのローカル版である右派的立場にいるというのは不安なわけだし、最終的には現実に仕返しされてしまう。

*2:あくまでも比喩。現代では硫黄島はありえないがいずれにせよ貧乏くじは彼らのもの