ネオ在特会

最近ドイツのデモを起こすタイプのネオナチと日本のデモを起こすタイプのネトウヨ起源の方々を比較しようと調べ始めたんだけど、まぁ、本音を言わせてもらえば万年弱小勢力であるネオナチなんてどうでもいいんだけど*1、ネオナチないし極右政党とされているNPDのスローガンをキーワードにすると、以下のような言葉が挙げられる。


・自由
・平等な権利
・反資本主義(あるいは反米)
・ドイツのイスラム化の阻止(あるいはドイツの伝統回帰)
・国家
・社会

Sozial geht nur National (社会(福祉)は国家によってのみ成り立つ)と言う風に使う(NPDのスローガンより)。ナチスの正式名称、国家社会主義ドイツ労働者党の前半部分がちゃんと継承されていますね。後半も別のスローガンによって主張されるわけです。


Freiheit statt Islamisierung (イスラム化ではなく自由を)
とか
Nationalismus statt Globalisierung (グローバル化ではなく国家主義を)
とか
Hier ist Deutschland (ここはドイツだ)




日本でも聞き覚えのあるフレーズとしては

Ist die Presse meinungsfrei? (報道における言論の自由はどこに?)

とかナチスをすっ飛ばして連合軍のドレスデン爆撃の非難に集中したりするあたりとか。
ネオナチはドレスデン爆撃を非難するとき「(爆撃)ホロコースト」という言葉を使う。


特徴的なのは左派グループあるいは左派政党が良く使うキーワード、自由だとか機会平等だとか反資本主義をネオナチも好んで使うというところ。左派のスローガンをドイツ人に限定すればそのまんまNPDなどのスローガンとなるものばかりだ。たとえば左派連合政党であるDie Linkeや労働組合などがArbeit für alle(すべての人に仕事を)なんてスローガンを掲げたりするけど、NPDはArbeit für alle Deutschen(すべてのドイツ人に仕事を)なんてスローガンを公然と並べ立てる。そして左も右もHartzIVという従来より受給者および希望者の権利が縮小・制限された統合失業・社会保障法を攻撃する。もっとも今現在、伝統的な意味で左と呼べるような人たちなんて数えるほどしかいないけど。同様にネオナチもメディアの取り扱い枠大きさに比べて実数はそれほど多いわけではないようだ。

もっとも自由とか機会平等なんて言葉は真ん中にいようがなんだろうが政治にかかわる人は好んで使う。ネオナチのおぼろげな原型ともいえるナチスもとりわけヒトラーによる専制が磐石のものとなるまで好んで使ってた。ネオナチな人たちはヒトラーの例から考えて自分のところに金が回ってこない類の資本主義を批判しているだけだろう。この人たちの訴える自由にしても平等にしてもドイツ人専用というわけで*2、日本でならネトウヨと呼ばれていてもおかしくないほどのネトウヨとの相互互換性の高さ。


ネオナチの今日を観察してると、日本のネトウヨ由来排外主義運動の未来が見えてくるんだよな。そのうち左派アナーキストを装ってみたり、極右ファッションブランドができたりするんだろうな。いや、もうすでに日本にもあるそうだけど、それが表面化するほど大きくなってくるという意味でね。

*1:そりゃ今の社会を妥当なものとして必死にバランスを取ろうとしているほかの勢力の方がもっと切実にヤバい、と言う意味で・・・・なんだが、1930-40年代に起こったことを考えると万年というのはいいすぎで、やはり警戒する必要はあるし、敵対する必要もある。現実にヨーロッパのいくつかの国ではすでに冗談を超えたレベルで極右が台頭してるし

*2:このような排他性は、いわゆる当たり前で穏健な人たちでも当然有している。富へのアクセスは働く人たち、そして働く人たち、あるいは「幸運にも」公的にかろうじて扶養される人たち専用で、それがいやなら働け、という選択の強制と排除はドイツ人専用の自由と平等の範囲を入れ替えたものでしかない。