ヘタリアについての私見

一部ネットで日本人の嘲笑の的になっているイタリアだが、その見方は一面的杉だよ。そのヘタリアでは同時に民衆がとめどなく蜂起しているわけで、民衆運動に関してはイタリアはまったくヘタリアではないと、ネタにマジレス。

ただ確かに蜂起が繰り返される背景には、政府と癒着するマフィアの存在や官僚のセクショナリズム、うまく機能しない民主主義といった問題がある・・・ってあれ?どこかの国とそっくりだぞ。まぁ民衆ではなくて、この辺の脳みそがキャベツな連中が君臨している部分をヘタリアと名づけて、日本政府を同時に糾弾する、というのならまだわかる。それでも自分の国や社会のお粗末さそっちのけで外国を嘲笑して回る風潮は、理解しがたいが。

まぁネトウヨここに極まれりだな・・・。Mixiで読んだニュース(ソースがアレで申し訳ない)では韓国の人たちから非難が飛んでると書いてあるが当たり前だ。

余談だけど僕の知る限り、近年のイタリアの政治に対して恥だとまでいうイタリア人は何人かいる。日本並に腐りきってるわけで、彼ら、彼女らがそう思う理由はよくわかる。自らを国籍やら法律で縛りつくしている国のヘタレぶりが他国のヘタレぶりより先に目に付くべきであって、やっぱりヘタリアヘタリア言ってる2ちゃんを中心とした一部ネット世界はどうにもずれてるかと。



ギャグマンガ・アニメなのでそういうマジ突っ込みは野暮という話もあるけど、僕としてはその判断には迷うところ。

元は2ちゃんの、それも軍事版の目に余る差別ぶりが根源だからね、 たぶんこの言葉は。
イタリアが軍事的にへっぽこというところから来てるんで、一見あんま典型的なネトウヨの差別表現と関係なさそうだけど、自分たちの外のものをネット上で適当に遠慮なく叩くってのは同根だと僕は見てる。まんま国内の不満を国外に剃らしてガス抜きという構図かと。

玉石混合でおまけに石の比率のほうの天秤が地面に付きそうとはいえ、軍オタの知識には感心させられることも多い。しかし兵器や軍事が好きなのはいいとして、それを現実に食らう人たちの視点を持ってるのかどうか怪しい意見が支配的で、そこは気分が悪い。それは軍事版の良スレ回収サイトを読んでると概観できる*1

そしてさらに言えば、相手側からの目が欠けてるんじゃないか?そりゃ例えば、フランス人にバカにされるベルギー人というように、外国にも特定の国や人種をバカにしたジョークの類はあるけど、そういうのは主に人口に膾炙した、どことなく広まっている噂話的なもの*2で、やっぱアニメにして製作側という存在を作って全国的に流してしまえば、そりゃ批判されても当然。皆様方の一部もせっせと中国や韓国に抗議して回ってるではないですか。 考えすぎかもしれないけど。 どうせやるなら日本だけ漫遊記のキャラクターのような画風でやって自虐アニメにしてはいかがだろうかというのは僕の友達のアイデアだが、それなら僕は萌えるな。いや、個人的な話ですまん。

あと気になるところといえば、この前のヒトラーは偉人と話として似てるってとこかな。糾弾されるのは当然としても、なんでこの時期にそういうネタがメディアで続いてるのか。むしろ自民党あたりの誰か達がヘイトスピーチ規制法案なんかを「都合よく」通したくてメディア操作に精を出しているのかもね。


id:osahuneさんがこのエントリhttp://d.hatena.ne.jp/osahune/20090115/12320370で引用している、ダリウス・ジェームズ「ニグロフォビア」の訳者あとがきと僕の言いたいことは一緒ですね。

日本人の多くが、差別されることには妙に敏感なくせに、自分がやっている差別にはきわめて鈍感だという点だ。

ダリウス・ジェームズ「ニグロフォビア」の訳者あとがきである。鈍感というよりも差別における快楽、と言い換えたほうが良いかもしれない。むしろ異質なものを見下せる自分に酔いしれ、それに気がついていないとも言えるだろう。では、圧倒的な実力差を徹底的に思い知らされ、相手を見下せなくなっている場合はどうなるか?

上記の引用箇所の直前でid:osahuneさんが引用している文章の中での、日本における『地を這うような卑屈さ』、というのも今日偶然、僕はチャット友達としていた話です。これはもう強烈な抑圧から来るいじめの構図そのものですね。それらが直接僕のような卑屈になれない人間が、日本社会で生きにくくなっている主要な原因のひとつになっていると日々思いますね。実際には圧倒的な圧力の前に卑屈になろうとすることはよくあるのですが、その際生じる不満や怒りの内面化に失敗するんですな、いつも。その不器用さゆえに結局こういうブログ書いてるわけです、みなさんすみません。悪いのは全部私です。私さえいなければいいんですw

予断ですが、この僕が使っているネトウヨっていう言葉自体彼らが使う差別的表現と表裏一体の差別的表現ですね。
別の言葉を用いたかったけど、適当な言葉が思いつかなかった。そういうネトウヨみたいなほとんど仮想的な層を設定して何かを語らないほうがいいのだろう。今後はそうすることにします。

*1:質問に対する回答で引用されるのがいつもジョセフ・ナイ教授ばっかりというのも気になるところ

*2:もちろんだからいいという話ではない。それにそういうジョークが広まるところには大抵文化的軋轢、それもまったく非対称な軋轢、があるし。