オバマの歴史的プロパガンダを祝してマイク・グラベル再掲1

なぜこうまでオバマが期待されているのか分からない、わけでもないのだが、やはり引っかかる。とりわけ評判の高い彼の演説も僕にとっては、無理やり多種多様、特に経済的には似ても似つかない層が混在し、修復不能な状態をもう何十年とさらけ出しているアメリカを無理やりひとつに見せかけようとしているし、曖昧な努力と責任感を強調するということは、相も変わらずネオリベ路線かあるいは類似路線で行く気なのかと思わせる、とほほな内容だし、ディベートに至っては僕は言葉が良く詰まってあーとかうーとよく言ってる人って印象しかない。別に言ってることに人道的な意味があれば言葉に詰まろうがなんだろうが僕は構わなのだけど。アメリカンな(かなりわざとらしいとはいえ)ポジティブさは評価できる。確かにそれは変化の原動力ではあると思うから。とはいえ、何かやってくれそうな雰囲気はせっせと演出されているけど、同時にもう他方から、彼がふたりのブッシュよりは期待できたとしてもせいぜいふたりのクリントンほどにしか期待できそうにない情報も入ってくる。時代が違えばケネディぐらいには期待できたかもしれないけれど。なによりも国民一人ひとりの力によって下からの平等なアメリカを要請しながら、不正を訴える人たちが脅され、逮捕され、時には殺され、一部の強力な力がアメリカの権力構造の中で荒れ狂っているという根本的な問題にはまったく踏み入っていない。民主制度が肝心な点で実質崩壊していることこそが問題なのに。そんな中で国民に立ち上がらせようとしても空回りするだけではないだろうか。

オバマが就任演説でいきなり、アイゼンハワー張りにこの国の政治は一部の人間達に乗っ取られていると正直に言ってくれていたらまだしも、そういうところを避けてこの内容ではとてもじゃないけど、あーはいはいまた「政治」の技術の問題ですね、ってゲンナリですよ。今日求められていることは、単なる経済と財政の建て直しではなくて、彼自身が演説で述べるように、あらゆる人間の生存と幸福を実現しながら*1、それでも回る経済システム、政治システムの模索であり、そのためにアメリカの大統領に出来ることは極めて限られている、というよりはむしろ逆にその模索と実現を妨げる時代遅れの制度ですらあるように見える。国民にそれらのための努力を訴えかけておきながら、システムはそれを受け付けない。あなたが最近以前の時代のアメリカのシステムはそのような試みを受け付けていたと言うのですから、まずは愛国者法などの崇高な神より与えられたすべての人びとの幸福の権利に反する法律を撤廃する努力から始められてはいかがだろうか。

同じ土地でマーティン・ルーサー・キングJrは歴史に残る演説をした。オバマと決定的に違う点は彼の立場だ。彼は「アメリカの代表」あるいは「世界のリーダー」ではなく「黒人の」、そしてそこに象徴される「弱者の」代表として演説をしたことだ。彼自身が演説で謳ったほどにアメリカにおける基本的人権に基づく自由や偉大さ、平等性、そして民主主義が実現されていると信じていたかは分からない。おそらくは否だろう。だけど、私達は今日、それを実現させる意思の表現をキングの演説に見ることができる。それはマイルストーンであり、あなたの社会であり、私の社会であるものの実現を願い行動するものたちの新たな出発点になりうるものだ。翻ってオバマは?、いやむしろその質問は適切ではないな・・・、翻ってアメリカ合衆国大統領という地位からキング牧師の演説ほどに意味のある演説ができるのであろうか?いや、そりゃ保守派にとっては大統領の演説のほうが意味あるかもしれないけどさぁ。200年後の人類はどっちの演説を歴史的に重要視するのだろうね。もっともキング牧師ならば、オバマ大統領の就任を祝福し、肯定的に捉える発言をしただろうけども。

と、まぁオバマに関しての僕はニヒリズム丸出しなわけですが、もうひとつ、僕がオバマに疑いの目を向ける一因に今回の大統領選で、泡沫候補だが一部で騒ぎを引き起こしたマイク・グラベルインパクトの大きさがあった。チェンジに変革、不正の解決に取り組むなら、むしろオバマではなくてこの男だろうと。と、いうわけでオバマの就任記念にグラベルについてのエントリを、FC2時代のエントリだけれどももう一度掲載。オバマに期待を寄せる傍ら、こういう人がいたことを覚えておくのもみなさま、よろしゅうございましょう。それでは皆様、usopamchi主催のマイク・グラベルプロパガンダのはじまりはじまり。



今さらながら反乱大統領候補マイク・グラベル (2008年米大統領選挙)


以前ちょこっとヒラリーとオバマディベートについての感想をここに書いたけど、基本的に天空の聖域同然の、米大統領の席の話なんか僕にとってはどうでもいい話で、情報なんてほとんど集めてなかった。本選突入と同時に途端にどうでもいい金持ちの代弁者どもの争いになる大統領戦。それでも予備戦段階ではそれなりに僕の興味を引く人物が上がってくる。

ロン・ポールは面白い。共和党候補のなかでは一番輝いている。公約もユニークだ。だが、彼の言うような排外主義社会なんてのは楽しくない。デニス・クシニッチとかラルフ・ネーダーはおもしろい。でも、彼らではそれでも退屈だ。だって、クシニッチは脱落したしネーダーも勝ち目がないし、あくまでも政治的なのだ。

それ以前にアメリカの政治制度を僕は支持できない、というわけで無視してた。


1年遅れでこの人の情報を得るまで。

異色のド根性大統領候補:マイク・グラベル


写真:怒りをぶつけるマイク・グラベル(元)リバータリアン党大統領候補。この写真だとドナルド・ラムズフェルドと見間違えそうだ http://nymag.comより



このマイクじいさん。ひょんなことからディベート番組に呼ばれて一時大変な話題を呼んだそうでご存じの方もいるでしょうが、ほかの比較的庶民派候補以上に、この人の勝ち目は万に一つもない。おまけに2007年9月以降、大手テレビ局は彼をディベートに招待するのをやめた。

だが彼のパフォーマンスは僕の頭に張り付いて離れない。僕はこのじいさんが好きなのだ。目玉に$や現実主義という文字が焼き付いている人間以外を見ることができないはずの米の大統領戦で、脅迫や村八分、暗殺の恐怖を恐れず公然と怒り狂うこのじいさんが好きなのだ。いや、だれだって好きなはずだ。アメリカの資本主義、世界の資本主義、さまざまな権威、権力、ロビイストたちの顔色にあまり敬意を払わない候補は他にもいる。また、大統領候補ではないがバーナード・サンダースのような跳ねっ返りが上院議員になれちゃったりするのがアメリカという国。探せば反骨精神にあふれるドン・キホーテ議員はいっぱい見つかるだろう。

だけどここまで無謀で、貧乏(というか金欠)で、ここまで万人を尊重する姿勢だけで爆走する元上院議員の大統領候補、つまりエリートは見たことがない。こんな路上で訴える抗議行動者のような人を米の大統領戦で見ることができる日が来るなんて想像もできなかった。

選挙戦略というより単純に金がないようで、ディベートや遊説には格安の長距離バスと電車で駆けつけ、宿泊は格安のモーテル。散髪には奮発して30ドル費やすと自称するマイクじいさん。クシニッチ候補もディベートに電車できたといってたが。

この人の経歴にもまた驚かされるばかりだ。ベトナム戦争を止めさせるために勝手に夜中にひとり公聴会を開いて7000ページもある機密文書のうちの4100ページを全部朗読してだれでも読める公文書にしてしまったとか、徴兵制廃止のために議会でひとりで5カ月粘ったとか、とにかく理想とDIY精神を燃料がわりに機敏に抵抗する人のようだ。とにかく主張が、CPE法案の提出を機にフランス中至るところを占拠し解放しまくった民衆のように、限りなく左のさらに向こうに突き抜けている。詳しくはさきほど提示したリンク先異色のド根性大統領候補:マイク・グラベルで読めます。

その2へ続く

*1:もちろん億万長者になりたいという願望をかなえることが必ずしも生存と幸福の実現であるわけではない。オバマの演説で言えば、やる気のある人にチャンスを与えるだけでは不十分で、やる気のない人にやる気を与え、なおかつどちらにせよやる気がない人を許容し、豊かな生存を支援し保障することでもあり、それでも回るような社会が求められている。